古代エジプトでは神聖な存在として崇拝されていた猫様。穀物を守る守護神として大切にされ、その死は盛大な葬儀で悼まれました。しかし、中世ヨーロッパでは、猫様の運命は一転します。
中世ヨーロッパにおいて、猫様は「魔女の使い魔」や「悪魔の眷属(けんぞく)」として徹底的に迫害されました。無数の猫様たちが人々の手によって虐殺され、その結果、人類史上最悪の悲劇を招くことになります。
なぜ、これほどまでに残酷な扱いを受けることになったのでしょうか。今回は、猫様にとっての暗黒の時代を紐解き、その背景や歴史をみてみましょう。
信仰の変遷と猫への偏見
中世ヨーロッパは、キリスト教が社会の中心を支配する時代でした。教会は、それまで各地に残っていた土着の自然崇拝や異教的な信仰を「異端」として徹底的に排斥しました。この流れが、猫に対する偏見を生む大きな原因となったのです。
猫は、古代ローマやゲルマン民族の多神教において、豊穣や自由を象徴する女神たちと結びつけられていました。例えば、北欧神話の愛と豊穣の女神フレイヤは、猫が引く二輪戦車に乗っていると描かれています。これらの信仰は、キリスト教の教義とは相容れないものであり、猫は異教徒のシンボルとして見なされるようになりました。
さらに、魔女狩りが盛んになると、猫への疑いは決定的になります。当時の人々は、魔女が動物の姿を借りて悪事を働くと信じており、猫は魔女の「使い魔(familiar)」として、悪魔の力を借りて変身した姿だと考えられました。特に、黒猫は不吉な存在の象徴とされ、魔女の集会に現れる動物として、最も忌み嫌われたのです。
人々は、猫を捕まえては火祭りの焚き火で焼き殺したり、悪魔を追い払うという名目で建物の壁に生きたまま塗り込めたりする、残酷な慣習を繰り返しました。猫の鳴き声は、苦しみの叫びではなく、悪魔の呪いの声だと信じられていたのです。
迫害が招いた悲劇
猫への根拠のない迷信と憎悪は、大規模な虐殺へと発展しました。ヨーロッパ各地で、無数の猫たちが無慈悲に殺されました。
その結果、猫という天敵がいなくなったことで、ネズミが異常な速度で繁殖し始めました。ネズミは、食料を食い荒らすだけでなく、人間の暮らしに忍び寄り、病原菌を運ぶ存在でもありました。そして、ネズミの体についたノミこそが、人類史上最悪のパンデミックを引き起こす媒介者だったのです。
14世紀、ヨーロッパ全土でペスト(黒死病)が大流行しました。これは、ノミが媒介するペスト菌によって引き起こされる感染症です。当時、人口の3分の1から、地域によっては3分の2が命を落としたと言われるほど、その被害は甚大でした。人々はペストの原因を「神の怒り」や「魔女の呪い」だと信じましたが、その真の犯人は、人間が自らの手で滅ぼした猫という守護神の不在だったのです。
人間は、迷信のために自然の摂理を無視し、自らが生態系のバランスを崩してしまったのです。猫を殺した結果、ネズミが蔓延し、ペストという悲劇が起こるという、皮肉で悲しい歴史がそこにはありました。
近代における名誉回復と復活
中世の暗黒時代は、永遠に続くものではありませんでした。15世紀以降、ルネサンスが始まり、科学や理性の重要性が増すにつれて、猫への偏見は徐々に薄れていきました。
18世紀になると、猫は再び人々の生活に受け入れられ始め、愛玩動物としての地位を確立し始めます。特に、イギリスのヴィクトリア女王が猫を愛し、宮廷に迎え入れたことは、猫の名誉回復に大きく貢献しました。女王が猫を飼い始めたことで、猫は上流階級の間で再び愛される存在となり、やがて一般市民にも広まっていきました。
ヴィクトリア朝時代には、猫の品評会や愛好家団体が設立され、猫は再び人間にとっての良きパートナーとして市民権を得たのです。
まとめ
中世ヨーロッパにおける猫様の暗黒史は、人間がいかに迷信や偏見に囚われやすかったかを示しています。この悲しい歴史を経て、猫様が実用的な存在というだけではなく、私たちの心を癒し、暮らしを豊かにしてくれる存在になってくれています。二度とこのような悲しい歴史を繰り返してはいけませんね。
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