右手を挙げてお金を招く猫、左手を挙げてお客さんを招く猫。お店のレジ横や玄関先でよく見かける、あの愛らしい招き猫。私たちに幸運を運んでくれる縁起物として、日本中で深く愛されています。でも、この招き猫がいつ、どのようにして生まれたのか、ご存知でしょうか? その起源には諸説ありますが、招き猫の最も有名な伝説と、その姿に込められた深い意味を紐解いていきます。
招き猫のルーツ、豪徳寺の伝説
招き猫の起源として最も有名なのが、東京都世田谷区にある豪徳寺(ごうとくじ)に伝わる伝説です。その物語は、江戸時代に遡ります。
当時、豪徳寺は非常に貧しく、荒れ果てていました。住職は猫を愛し、たとえ貧しくても決して手放そうとはせず、「お前が何か寺に福を招いてくれたらなぁ」と、飼い猫に冗談めかして語りかける日々を過ごしていました。この猫は、「たま」という名で、住職にとって唯一の家族のような存在でした。
ある日、彦根藩の藩主である井伊直孝(いいなおたか)が、鷹狩りの帰りに激しい雷雨に見舞われ、大きな木の根元で雨宿りをしていました。その時、井伊直孝は、一匹の猫が寺の門前で前足を上げて、こちらに手招きするような仕草をしているのを目にします。不審に思いながらも、その猫に導かれるように寺に入ると、直後に先ほどまでいた木に雷が落ち、命拾いをしました。
この出来事に、井伊直孝は深く感銘を受けました。猫が自身の命を救ってくれたのだと考え、豪徳寺に多額の寄進を行い、以降、豪徳寺は彦根藩の菩提寺となり、大いに栄えることになったのです。住職は、猫の「たま」が寺に福を招いてくれたと感謝し、その死後、手招きする姿の人形を作って祀りました。これが、招き猫の始まりと言われています。
もう一つの伝説、今戸神社の物語
豪徳寺の伝説は有名ですが、招き猫の起源にはもう一つ、心温まる伝説が伝わっています。それは、東京都台東区にある今戸神社の物語です。
江戸時代、浅草に住む貧しい老婆がいました。あまりの貧しさから、大切にしていた飼い猫を手放さなければならなくなりました。心を痛める老婆の夢の中に、ある夜、手放した猫が現れ、「私の姿を人形にして祀れば、きっと福を授けるでしょう」と告げました。
老婆は夢のお告げ通りに、猫の人形を作り、店先に置きました。すると、その人形が瞬く間に評判となり、多くの人々が買い求めるようになりました。そのおかげで、老婆は裕福な暮らしを送ることができたそうです。この伝説は、猫が自らの意思で人間に福をもたらそうとした物語として、今も語り継がれています。
招き猫の姿に込められた意味
招き猫は、ただ福を招くだけの縁起物ではありません。その姿や色には、一つひとつ意味があります。
右手を上げている猫
一般的に「お金」や「幸運」を招くとされています。商売繁盛のご利益があるとされ、多くのお店に置かれています。
左手を上げている猫
「人」や「縁」を招くとされています。千客万来、良縁成就のご利益があるとされ、人の集まる場所に置かれることが多いです。
両手を上げている猫
「両手で欲張りに福を招く」として、近年では人気があります。ただし、伝統的には「欲張り」を象徴するため、あまり良いとされてこなかった歴史もあります。
また、招き猫の色にも意味があります。
三毛猫: 幸運全般を招く、最も一般的な色です。
白猫: 福を招き、開運をもたらすとされています。
黒猫: 魔除けや厄除けのご利益があるとされ、家内安全を守ります。
赤猫: 病除けの効果があると信じられています。
金猫: 金運向上や商売繁盛の願いが込められています。
ピンク猫: 恋愛成就の縁起物として、現代で人気を集めています。
上から3つくらいは見たことがありますが、猫様の色によって意味が違うとは…知りませんでした。
招き猫、現代での役割と広がり
招き猫は、今も私たちの生活に深く根付いています。豪徳寺や今戸神社は、多くの猫好きや観光客が訪れる「招き猫スポット」として知られ、境内には無数の招き猫が奉納されています。また、招き猫は伝統工芸品としても受け継がれています。愛知県の瀬戸や常滑は、古くから招き猫の産地として知られ、職人の手によって一つひとつ丁寧に作られています。
さらに、招き猫は日本の文化を代表する存在として、海外でも人気が高まっています。アニメキャラクターやポップアートとしてデザインされた招き猫も登場し、その愛らしい姿は、国境を越えて多くの人々に幸運と笑顔を届けています。
まとめ
招き猫は、単なる縁起物ではなく、様々な意味がこめられていたんですね。アイキャッチに載せたもちくも招き猫、可愛いでしょ(笑)なかなか上手くできたんではないかなって思います。次に招き猫を見かけたら、その愛らしい姿に込められた深い歴史と、幸運への願いを是非思い出してくださいね。
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