私なりの猫様との関わり方

冒険の心得

昨今の保護猫活動やペットショップに対する様々な意見を目にしモヤモヤしている今日この頃。私を猫おばさんにさせてくれたもちとくもとの出会いや猫様との関わり方について、少し呟いても良いですか。

猫との出会い

猫は小さい時から大好きで、実家で飼ってたのは、野良から家猫(半外)になったオッドアイの白猫シロ、そしてその息子の白猫サンジ(兄の家に引き取られ、毎朝三時に起きてたとのことで命名されたそう)。

田舎でしたし、その当時完全室内飼いなんて概念も我が家にはなく、半外で飼っていたのが私にとっての初めての猫様でした。
サンジは兄が引き取っていたのですが、県外にでるとのことで我が家に戻ってきました。サンジは内弁慶というか、家ではヤンチャでしたが外ではケンカが弱かったのか、ケンカで病気をもらい5歳くらいで亡くなりました。やんちゃばかりしていたサンジですが雷が怖く、私も雷が怖くて(我が田舎の夕立は、雷が光ったとたんにドーンと落ちるくらい激しいものでしたから、普通ならビビります)押入に一緒に隠れたものです。普段なら言うことを聞かないサンジも、この時は素直に押入に一緒に隠れてくれたものです

亡くなる直前はかなり弱っていたサンジ。ある日私が高校の部活で練習試合に行って帰ったら虹の橋を渡ってました。帰宅した時には、既に畑の一角に土葬されていて(うちの両親は仕事が早いと思ったけど、これは優しさだったのでしょう)、涙ポロポロ流しながら夕飯を食べた記憶があります。そのサンジは土葬されている辺りで季節外れのかわいいお花を何度か咲かせてくれました。

お外出身の子と生活していたからか、私の場合はペットショップという選択肢は最初からなかったのかなと思います。(今振り返りながら気づきました)それに猫全般好きで特別な種類の猫ちゃんが好きなわけではありませんでしたし(犬好きさんとは違う、猫好きあるあるですよね)。

大好きだけど飼えない

20代、30代とそんなかわいい猫様との生活を、自分の仕事ややりたいことの実現のためにずっと我慢してきました。いや、猫様を迎え入れる心の準備が出来ていなかったのかなとも思います。20代は仕事に、そして韓国にワーキングホリデーに行こうと仕事を掛け持ちしたりして忙しく過ごし、そして30代は韓国から帰国、海外旅行にはまり旅行資金のために働いたり、40代に入って今度は思ってもみなかったタイに駐在。その後コロナに突入。

大好きな海外への旅行もある程度やりつくし、コロナの世の中を経て、もう我慢はやめて猫様との生活をしよう!と思ってからが早かった。(もちとくもとの出会いにたどり着くまでのストーリーが長すぎるって?もう少しお付き合いください)

よし、お迎えしよう!

コロナ禍の時は仕事の関係でタイ・バンコクに住んでいて、帰国前からどうやったら保護猫ちゃんを迎え入れられるのかを検索する日々。
動物愛護センターや保護施設等を色々調べました。一人暮らしは譲渡できないとか、迎え入れるにあたり本当に色々な条件がありました。調べる前は正直簡単に譲り受けられると思ってました。(これはまた思うところが色々あるので別の日にお話ししますね)

譲渡会に初参戦、もちとの出会い

ようやく私が納得できる環境の子でお迎えできる施設を見つけ、意気揚々と譲渡会に参加します。猫を飼いたいという確固たる意志はあったものの、どういう子が良いかなんて想像もせずノープランで参加。

大きな子、大きくなる子がいいなというところから茶トラ系にアタックするも(手の臭いを嗅いでもらうと良いと聞いていたので、それでアタック)、完無視をくらい撃沈。その横に佇むイケメン猫、タキ(後のもち)がずっと上から見下ろしていて、手を嗅いでもらったら「ふぅ~ん」という感じ。悪くなさそう!イケメンだしということで決めました。

その後が少し長かった。もともと猫風邪で死にそうなところを保護されたのと、施設で皮膚病のようなものが流行って、うちに来る前に入院してしまうもち。確か予定より2週間遅れでトライアルがスタートしました。後のかかりつけの動物病院となる病院に2週間ほど入院していたのですが、動物病院の協力もあるでしょうが、こういう所にお金がかかっているし、もちは当時6か月でしたが、去勢手術も終えていて、保護猫活動というのは本当にお金がたくさんかかっているなあと思ったものです。(もちろん人の手もかかってますけど)

思い出話が尽きませんが…

またまた思い出話が長くなりつつありますが、サンジともちの大きな違いは、サンジ、いや、サンジのお母さんシロがウチを選んで来てくれたのに対し、もちはこちらのエゴでウチに来てくれた子であること。

お迎えする時から、こちらの都合で来て頂いているのだから、「あぁ、このウチの子になって良かった♪」と思っていただけるようにというのが私の猫様に対する基本的な思いです。もちろん、選んで来てくれたから特別大切にしないという意味ではなく、選んでいただいたんだから、やはり期待を裏切らないように「あぁ、このウチの子になって良かった♪」と思っていただけるように接する、縁あって一緒に居てもらってるという気持ちです。

その代わりに頂けるものがある

そして一緒に居てもらってわかったことなのですが、猫様の癒し効果は半端ないこと。

体調が悪いと寄り添ってくれるし、そうでなくても寄り添ってくれる。人間と一緒に暮らす猫様たちは、身代わりになってくれるとか聞いたことがあるのですが、それは強ち間違いではないような気もしています。猫は、その場の「気」を良くも悪くも吸い取ると言われてますが、確かに体調不良には敏感です。気のせいかもしれませんが、猫様に悪い気を吸わせないように、人間は身体的にも精神的にも健康的に生きていく必要があります。(ちょっとスピっぽいですけど、体調が悪いと物理的に猫様のお世話ができなくなりますし)

だからこそ、心の余裕(精神の健康)、健康な身体があってこそ猫様を幸せにできると思っています。自分の事をおざなりにし、自分を犠牲にしているようでは、猫様は気づいてしまう。ですので、私自身がハッピーで健康であることが猫様たちのQOLをあげてくれると思っています。

モヤモヤの根源

猫が好きなので、保護猫活動をされている方には尊敬の念しかありません。(次男のくもは、赤ちゃんの時に保護された方にミルクをもらって大きくなったそうです。人間の赤ちゃんと同じで数時間おきにミルクをあげるのは本当に大変なことです。)でも時々保護活動をされている方の犠牲の上に活動が成り立っている感じを受けることがあります。(あくまでも私からそう見えるというだけで、実際はとても充実されているのかもしれません)

ただ私は、猫様を幸せにできる、私が出来る範囲で誠意をもって猫様を幸せにすることも立派な活動だと思っていますし、そういう方を増やす活動も回りまわって保護猫活動につながると思っています。先に述べた通り、私のハッピーが成り立たないと猫様も安心してハッピーになれないと思うからです。

「良い猫生だったなぁ」と思う猫様が増える活動をもちとくもと共にやっていきたいなと思っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました