【ねこニュース】永遠の「名誉特別駅長」へ:二代目・ニタマ駅長の社葬 ファンら500人が別れを惜しむ

ねこニュース

以前仕事をしている猫様たちのお話をしたことがありますが、その記事でも少し紹介した、たま駅長の後継者だった「ニタマ」が亡くなりました。つい先週のお話ですが、ねこニュースとしてお伝えします。

和歌山電鉄貴志川線のシンボルとして親しまれ、社長代理ウルトラ駅長を務めた三毛猫の二代目猫駅長「ニタマ」の社葬が、2025年12月13日、終点の貴志駅(和歌山県紀の川市)で執り行われました。11月20日に15歳で永眠したニタマに対し、ファンや関係者約500人が参列し、その功績を偲びながら最後の別れを惜しみました。

ニタマ駅長の葬儀は、和歌山電鉄株式会社の社葬として神式で厳かに営まれました。これは、初代「たま駅長」と同様に、地方鉄道の救世主として多大な貢献を果たしたニタマへの、会社としての最大限の敬意を示すものです。

(情報元:複数の全国紙・地方紙の報道および和歌山電鉄の発表に基づく)

献身的な活躍と「社長代理」への昇進

ニタマ駅長は、2015年に初代たま駅長の後任として二代目駅長に就任しました。初代たま駅長の功績を引き継ぎ、その愛くるしい姿とけなげな働きぶりで、国内外から多くの観光客を貴志駅へと誘致し、貴志川線の利用者増加と地域観光の活性化に大きく貢献しました。

役職の変遷

駅長代行からスタートし、その功績が認められて「社長代理ウルトラ駅長」にまで昇進。貴志川線の顔として活躍しました。
2024年4月からは、後輩のよんたま駅長代行に駅長職を譲り、「社長代理ウルトラ駅長」として貴志駅の名誉駅長代行を務めていました。(出典:和歌山電鉄)

「名誉特別駅長」の辞令と涙の弔辞

社葬は、ニタマが日々勤務にあたっていた貴志駅の駅舎コンコースで、午前中から執り行われました。

最後の辞令交付と弔辞

葬儀委員長を務めた和歌山電鉄の小嶋光信社長は、ニタマに対し、貴志川線の「名誉特別駅長」の辞令を交付しました。

小嶋社長は弔辞で、「けなげに働き、かけがえのない癒やしを与えてくれた」とニタマの功績を称賛。特にニタマが持つ「優しさ」や「穏やかさ」が、貴志川線に集まる人々の心を和ませたことに言及し、「たま駅長と並び、天国でこれからの和歌山電鉄を温かく見守っていてください」と、感謝の言葉を述べました。(出典:報道各社)

参列者の別れとよんたま駅長代行の参列

献花台には、ファンから贈られた多くの花束、手紙、キャットフードなどが供えられました。ニタマが帽子をかぶりマントを羽織った、凛とした表情の写真が参列者を見守るように飾られました。
遠方からも含め約500人が参列し、ニタマとの別れを惜しみ、涙を拭うファンの姿が見られました。参列したファンからは「ニタマの穏やかな姿にいつも元気をもらっていた」「2代目として大変な重責をよく果たしてくれた」といった声が聞かれました。
また現在、伊太祈曽駅の駅長を務め、ニタマの駅長代行も務める「よんたま」も参列しました。よんたまは、祭壇前に安置されたニタマの遺影に向かって時折「ニャー」と鳴くなど、先輩との別れを惜しむような様子を見せました。(出典:報道各社)

社葬の意義と残した功績

ニタマ駅長の社葬は、単なる猫の葬儀ではなく、和歌山電鉄にとってニタマが「かけがえのない社員」であり、会社の危機を救った「功労者」であったことを象徴しています。初代たま駅長から続く猫駅長の存在は、貴志川線を全国、そして世界に知らしめ、地域に経済効果と希望をもたらしました。

ニタマ駅長は「名誉特別駅長」として、これからもたま駅長と共に、天国から和歌山電鉄と地域を見守り続けるでしょう。ニタマが残した功績は、地方鉄道再生の成功事例として、今後も長く語り継がれていくことになります。

和歌山電鉄の公式発表および、ニタマ駅長逝去から社葬に至るまでの複数の新聞社・通信社の報道を基にニュース記事を集約して今回は情報をまとめました。ニタマ駅長が無事虹の橋を渡り、初代の駅長、たま駅長と無事に会えていると良いですね。

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